「法話」
先日の法話の中身です。
「世界に一つだけの花」の歌詞が、仏教の考え方に近いという話から進んでいきます。
「それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 1番になりたがる?」
こういった自分自身の心が、色々な苦しみの源になっていく。
「そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ」
お釈迦様が誕生なされましたときに七歩歩いてから上下を指さし、天上天下唯我独尊と仰った。と言うことに近いのでは?
・・・といった風です。
ほかにも、
人間の五感はもともとその時その時であり、その通りに自然であればいい。
たとえば「パチン!」と大きな音を立てて手のひらを鳴らしても、次の瞬間にはその音は消えて無くなります。そんな風に他人から「馬鹿っ!」と言われても、その声そのものはすぐにかき消えます。腹が立っても自分の五感に自然であればその心もすぐに消え去ります。でも、その声がいつまでも心に残って消えない。だからいつまでも苦しい。馬鹿と言った人のせいでは無く、自分自身の心に縛られて。
通夜や葬儀は故人の供養の為よりも残された人に対して行う物である。亡くなった方は成仏されるのだからすでに救われている。残された人が通夜、葬儀を経て、法要を重ね笑顔を取り戻していく。
まとめ切れませんが、そのような話をして頂きました。
私は、法話をしている吉田様の凛々しい姿を見て、(ああ・・・やっぱり若くても出家されている方はすごいなあ。かっこいいなあ)と羨んでしまい、羨んでいる気持ちが心に残り、その心が妬みに変わり、そして自分を苦しめていることに気付き、慄然としてしまいました。
まさに、法話を聞いているその時に、やっちゃってるんだから俗物なんだなあと実感しました。
とりあえず・・・蕎麦屋人生を一生懸命頑張ります(汗)
「世界に一つだけの花」の歌詞が、仏教の考え方に近いという話から進んでいきます。
「それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 1番になりたがる?」
こういった自分自身の心が、色々な苦しみの源になっていく。
「そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ」
お釈迦様が誕生なされましたときに七歩歩いてから上下を指さし、天上天下唯我独尊と仰った。と言うことに近いのでは?
・・・といった風です。
ほかにも、
人間の五感はもともとその時その時であり、その通りに自然であればいい。
たとえば「パチン!」と大きな音を立てて手のひらを鳴らしても、次の瞬間にはその音は消えて無くなります。そんな風に他人から「馬鹿っ!」と言われても、その声そのものはすぐにかき消えます。腹が立っても自分の五感に自然であればその心もすぐに消え去ります。でも、その声がいつまでも心に残って消えない。だからいつまでも苦しい。馬鹿と言った人のせいでは無く、自分自身の心に縛られて。
通夜や葬儀は故人の供養の為よりも残された人に対して行う物である。亡くなった方は成仏されるのだからすでに救われている。残された人が通夜、葬儀を経て、法要を重ね笑顔を取り戻していく。
まとめ切れませんが、そのような話をして頂きました。
私は、法話をしている吉田様の凛々しい姿を見て、(ああ・・・やっぱり若くても出家されている方はすごいなあ。かっこいいなあ)と羨んでしまい、羨んでいる気持ちが心に残り、その心が妬みに変わり、そして自分を苦しめていることに気付き、慄然としてしまいました。
まさに、法話を聞いているその時に、やっちゃってるんだから俗物なんだなあと実感しました。
とりあえず・・・蕎麦屋人生を一生懸命頑張ります(汗)